横浜国大附属横浜小学校 同窓会

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恩師の近況 第24回 毛利 澄夫先生

 昭和59年4月から4年間、附属横浜小学校でお世話になった毛利澄夫です。この度、当時同僚だった南雲先生からのお話があり、近況等を紹介させていただくことになりました。
 附属小時代は短かったけれども貴重で濃厚な経験を多く積ませていただきました。学年所属は、5・6・6・2学年、理科主任、研究発表2回、関附連授業公開、区研究会授業公開等が記憶に残っています。附属小以降は、平塚市等の学校3校、平塚市教育委員会2回、平塚市での校長2校で定年。その後幼稚園長を1年経験し、長い流浪の旅を終えて教育関係の職場から離れ、ようやく地元厚木市をベースとした生活に戻りました。流浪の旅の中でのエピソードをいくつか振り返ってみます。


 附属小以降は、崩壊学級・崩壊学年・崩壊直前の学校の立て直しを繰り返しました。教育委員会では、学校現場では想像できない激務を与えられ、片手間に学校訪問・研究実践の指導。指導主事仲間での合い言葉は「出る杭は打たれる、出過ぎた杭は打たれない」。中学校の理科の先生方の指導に出たとき、「この炎色反応の色は、教科書の色と違うのはどうして?」というような訳の分からない質問を浴びても平然。内心は小学校理科でさえよく分からないのに、よけいな質問をするでない! そうだね、ちょっと調べてみるから保留。と逃げて、職場に戻って大学の先生に電話。その回答をすぐに伝えて、中学校の先生から感謝される。そんな綱渡りばかりでした。そして、離任のときに理解したことは、「出る杭は抜かれて捨てられる」。すさまじい使い捨てです。教育委員会では、市から5億円をもぎ取って、障害児と不登校の拠点施設を作ったのが、私にとっては大事業でした。1時間で8000万円くらい業者に値切ったこともありました。議会のたびに質問と答弁をいくつも作成しました。
 管理職になるときには、誰も知り合いのいない市外に転勤。学校がある場所さえ分からない所でした。そこに着任して2ヶ月後に研究発表会。何を研究してきたか職員に聞いてもちんぷんかんぷん。ようやくまた平塚市に管理職で戻ったときも、県フロンティアスクールの研究指定。職員は研究から逃げ回ってきたものばかり。事件ばかりで警察や消防対応が多かったですね。こんな時代に日本初等理科研究会の編集をやっていたのは、今振り返ると信じられないですね。
 子ども教育相談センターの所長の席が十分あたたまらないうちに、校長がつぶれてしまった後始末で、2月校長着任。所長の仕事、規則改正を議会に通すことは、無理やり後輩にまかせて、いざ崩壊学校へ。そして最後の学校に転勤。ここも崩壊直前の状態。正規職員と同じくらいの数の臨任、非常勤教員。休職、育休、産休がぞろぞろ。全国小学校長会の仕事や日本初等理科教育研究会の理事長などをこなしながら、私の教員経験の締めくくりも後始末で定年(諦年)となりました。
 父が亡くなったのは退職直前の3月。相続税や兄弟への分配のために私の退職金と蓄えは一瞬にして消え、父の後を引き継いで農地管理などが始まりました。農地管理は、小規模だと無駄使いそのもの。私の場合、年に100万円くらい赤字。農業機械の減価償却が大変なのです。10年で1000万円くらいドブに捨てたことになります。もう嫌だ、いくら先祖伝来の土地であれ、鎌倉時代とはわけが違う。やってられるか!
 退職して数年後、土地活用の研究会が始まりました。そこで分かったことは、都市計画道路が農地を斜めに横切って計画されていること。こんな不便な形になるのは許せない、計画を変更させ、区画整理を進めよう。ところで、会長は毛利、お前だ。居眠りをしていた私は、突然の指名にびっくり。どうしても拒否できないで、押し付けられてしまいました。
 それからが大変。毎月2~3回の打ち合わせや会議が続きました。農地管理をしながらの無償ボランティアです。市の担当課、市議会議員、県議会議員等との打ち合わせ・請願・交渉などが何年も続きました。開発に賛成できない地権者からしかられながら、予算、業務代行者決定、庶務規定、会計規定、工事請負規定、業務代行規定、土地評価基準、換地規定、保留地処分規定、定款、事業計画書などを整備し、総会の承認を得て土地区画整理組合設立認可申請。それから7年程度の工期です。厚木市酒井の区画整理事業の推進、今年でこの事業は完了。研究会からの通算15年近くになります。教員を卒業してから、全くの素人が、100億円近くの事業を進めることになるとは思っていませんでした。教員時代からの「いい加減」があったから乗り越えてこられたと思います。市からは25億円程度の支援をいただきました。議会で承認された表のお金です。
 区画整理事業だけでも大変なのに、ボランティア活動の要請が次々とかぶさってきました。無償ボランティアの保護司活動(14年間で関わった対象者は17名)、地域の自治会役員(評議員4年・副会長2年・自治会長2年)、神社総代4年。それらも今年で締めくくりとなります。何とか自分の命をつないできて、喜寿を迎えました。
 過去に比べればほんの少しの野菜(20種類程度)を育てながら、毎日が惰性で生きているようです。何気ない毎日の暮らしが、外の世界に向けたものから内面に向けたものへと移行してくるような気がします。地域ボランティアも野菜栽培も、自分自身を見つめ直し、自分が土に還る場所を模索する作業のように思います。

自宅の敷地内の畑でサトイモを栽培。後ろはカキの木。

 
 校長通信は退職で途絶えましたが、毎年、当時の職員が同窓会を開催し、案内してくださいます。毎年1回、近況報告として校長通信の号外を作ってきました。これまでの号外の一部(抜粋)を振り返ってみます。
■お米作りに四苦八苦(平成24年7月27日)
 今年は、田植えが5月27日から30日。用水の関係で、植えるのが少し遅くなり、6月の天候不順もあって、生育状況は昨年よりやや遅れています。7月21日から22日、穂を実らせるための追肥を施肥。昨年の施肥はキヌヒカリ専用が余っていたので代用したが、今回はNK化成を12キログラム/10アール。正直なもので、施肥後すぐに葉の色が濃くなってきています。あまり濃すぎると、これからの台風被害での倒伏が心配になります。水田内は、6月の除草剤の効果が少ない取水口に近いところを中心に、雑草(コナギ、ホタルイ、オモダカなど)が元気に生き残っています。種をこぼしてしまうと、来年の雑草が大幅に増えてしまい、扱いが難しくなるのが予想されます。雑草が多ければ、稲が吸うべき肥料を、雑草が先に吸収してしまい、お米の収量が減ってしまう。そこで、この時期に草取りをするわけだが、暑さの中で田んぼに入るような若い情熱のある人はほとんど見られません。熟練者は、雑草が伸びる前に手を打つ。上農は、草を見ずに草を取るわけです。6月中旬に2回目の除草剤を散布します。しかし、丁寧に除草剤で処理すると、除草剤の費用だけで10アールあたりの費用が1万円を越えてしまうのです。苗の費用、肥料代、水利費、機械の減価償却、機械の燃料とメンテナンス、費用のことを考えたら、お米は作るより買った方がはるかに安いものなのです。
 雑草対策、お米の確実な収穫のためには、水田の水管理が重要です。しかし、これが思うようにいかないのが現実です。昼間の水利権がありません。用水路整備は、江戸時代からの先人が苦労してきたこと。今、安定して用水の供給ができているのは、先人の苦労の成果です。我が地域でも水争いで血を流し、幕府が調停したという記録が残っています。現在でも水利組合の各地区代表の調整会議があり、各地域への分配量、供給時間の調整の協定があるため、我が水田には、夜間12時間のみ水が入るようになっています。取水堰が自動的に作動するようになっていて、思うように変更はできません。この水利組合は、耕作面積に応じてお金を出し合って水路管理等の運営をしています。我が家では、年間3万円くらい拠出します。また、田んぼと水路の配置から、低いところをせき止めて逆流して水を入れる田んぼも数多いわけです。そういう田んぼにザリガニがいると、水をとめている畔に穴をあけてしまい、稲に必要な水を放流させてしまう。ザリガニは大敵天敵目の敵。みつけたら、退治するか、影響のない水路等に放すしかありません。要するに、田んぼの水を適切に維持できるようにするためには、こまめに見回って水を入れたりせき止めたりするしかないのです。もちろん、我田引水です。各自が勝手な時間に我田引水をするものですから、喧嘩にならない程度に我田引水を毎日、いや毎晩していきます。
 除草剤は、水に溶けて水面に膜をはって、それより下の雑草を絶やします。効果を高めるためには、除草剤散布後の数週間から1ヶ月、水の出入りがないように管理しなければなりません。ところが、稲が水を吸う量もあり、蒸発するものもあり、大雨であふれるときもあり、ザリガニが放出させるときもあります。一定量の水位を確保し、除草剤の膜を安定させておくのは大変なのです。
 各田んぼで除草剤や殺虫剤を扱っている時期、6月から7月は、生活科の学習などの影響もあって、生き物探しをする子どもや親子連れに出会うことが多くあります。私が気がつけば、注意して説明をし、止めさせるのですが、学校での指導はないようですね。親も知識を持ち合わせていません。田んぼの水は、農家の人だったら素手ではさわらないように気をつけます。さわった手は、除草剤で汚染されていない場所の用水路の水ですぐに洗います。素足で田んぼに入ることは、絶対しません。それだけ怖いのが6~7月の田んぼです。どの田んぼに、誰がいつどれだけの農薬を使ったか、それぞれが勝手に行っていてわからないのですから。その田んぼから流れ出た農薬混じりの水が用水路を通って別の田んぼに流れていき、全体を潤しているのです。子どもを田んぼに近づけることを、それでも推奨しますか?
 雑草対策と対応が一段落したら、穂が出ます。そのころは、イネツトムシ、ウンカ、イナゴ、カメムシなどの害虫の被害の心配と、稲穂が熟す前の汁を吸うスズメの大群への対策です。害虫対策は、発生してからでは遅く、1ヶ月前のころ、発生を予測して防除をします。スズメは、電線や樹木や家の屋根を足場にしてターゲットとする田んぼを狙います。これを防ぐには、今のところ案山子の効き目がありそうです。次第に案山子があちこちに増えてくると、効き目が弱くなって困るわけです。
 誰かの田んぼが犠牲になるのが一番いいのですが、スズメに決定権があるので、人知は及びません。

■救急搬送・慢性硬膜下血腫(令和6年7月22日)
 学校に勤務していた時代に救急車を要請したことが何回かありました。しかし、まさか自分自身が救急搬送されることは、想定していませんでした。しかし、既に後期高齢者。運転免許証更新では、高齢者講習が必要な年齢になってしまいました。認知機能検査、実車指導などを受検・受講。記憶力や視野の低下、運動機能の低下を自覚させられました。
 入院1回目は、令和6年2月7日(水)~14日(水)。普段普通に乗っている自転車道、ヘルメットを着用していたのですが、軽度の坂道でバランスをくずして転倒。自力で起き上がり、自転車を引いて歩いて帰宅。様子がおかしいと気づいた妻が病院へ。「慢性硬膜下血腫(まんせいこうまくかけっしゅ)」。頭蓋骨に穴を開けて脳を圧迫している血を抜く「血腫洗浄・除去術(穿頭による)」を受けました。
 頭の骨(頭蓋骨)のすぐ内側には硬膜と呼ばれる膜があり、この硬膜の内側にじわじわと出血が起こって血液の塊(血腫)ができた状態を慢性硬膜下血腫といいます。慢性硬膜下血腫によって脳が圧迫されるために、頭痛・手足の麻痺・尿失禁・痴呆(ぼけ)・うつ症状・ふらつきなどの症状が現れます。放置すると血腫はどんどん大きくなって脳が圧迫され、意識障害が進行し生命にかかわります。幸い、現在の症状としては、脳の一部偏りはあって平衡感覚が弱くなり、たまに頭痛を感じる程度で、他の症状は見られません。
 入院2回目は、令和6年2月27日(火)~3月4日(月)。搬送は救急車でした。救急車に乗って隊員と言葉を交わしたのは覚えていますが、すぐに意識がなくなり、病院に着いたときには瞳孔が少し開きかけていたそうです。前回と同じ「血腫洗浄・除去術(穿頭による)」。2月29日に意識は戻りましたが、穿頭場所から血腫除去のドレーン、点滴チューブ、心拍モニターなどが体につながっており、両手がベッドに固定されていました。拘束は手術後しばらくして解除になりました。
 あまり経験したくない手術を月に2回も受けたので、今後は安静にこころがけ、散歩程度の体の動きなどをしてリハビリに努めています。毎月のように通院し、CT画像をチェックしていただいています。脳が片方に寄っていて、頭蓋との間に隙間があり、戻るには時間がかかるそうです。漢方薬を服用し、生活で頭を打たないよう留意しています。

■保護司会の施設視察研修(令和7年7月28日)
 昨年の12月9日、保護司会で静岡刑務所の視察研修に行きました。以前には年1回の宿泊研修でしたが、近年は日帰りが多くなりました。参加費用は自己負担で、参加者は32名。事前に名簿を施設に送っておき、名簿の番号順に2列に整列して中を視察します。刑務官の誘導・指示に従って行動し、火気・通信機器・録音機器等の収容区域内への携行は不可。被収容者と言葉を交わすのは禁止、私語は控え、静粛を旨とする。いずこの施設も、参観留意事項は同様です。
 2組程度に分かれて収容区域に入り、入口は2重の鉄格子と鍵に挟まれて人数チェックを厳格に行います。区域内は5mくらいの高さの塀と電気柵に囲まれ、まず脱走は無理。静岡刑務所は、明治時代に都市部から離れたところに設置されたのですが、都市が拡がってしまって、今は町中にあります。82,646㎡の敷地は、大野小学校の約12倍。収容対象者は、実刑期10年未満で犯罪傾向の進んでいない男子受刑者、外国人男子受刑者、未決拘禁者が中心で収容定員897名。中には無期刑もあり、最高齢者は88歳。主罪名は、窃盗22%・詐欺12%・強姦等11%・覚醒剤10%・強盗8%・殺人7%・強制わいせつ4%・傷害等5%・放火3%・大麻等3%・道交法等3%・住居侵入等2%・横領その他10%。6:35起床、7:50~12:00、12:30~16:30が刑務作業、21:00就寝。平日の刑務作業は、生産作業(木工・印刷・洋裁・金属・その他)、自営作業(炊事・洗濯・清掃等)、職業訓練。1ヶ月のうち平日2日間は改善指導。土・日・祝日が休日。作業の収入は国庫に帰属。受刑者には作業報奨金、全国平均1ヶ月当たり約4,600円が支払われ、釈放の際に支給されます。

保護司会で法務省参観(一番手前が筆者)。

 一般改善指導は、広く受刑者一般に対し、講話・行事・面接・相談助言などにより、規則正しい生活習慣や健全な考え方を付与する指導であり、アルコール依存回復プログラム、暴力防止プログラム、窃盗再犯防止指導などを行っています。特別改善指導は、改善更生や社会復帰に支障がある受刑者に対し集中的な指導を行うものであり、薬物依存離脱指導、性犯罪再犯防止指導、被害者の視点を取り入れた教育、交通安全指導、就労準備指導を行います。
 2時間程度の施設視察研修は、工場棟での作業の見学、炊事棟や食事サンプルの見学、浴室、収容棟の見学(個室あるいはグループで生活する部屋)などが終わると、鉄格子を2回くぐり、会議室で刑務官からの説明・質疑応答で終了します。
 令和4年に刑法等の一部改正があり、今年6月1日から懲役及び禁錮を廃止して拘禁が創設されるという報道がありました。「懲らしめ」から「立ち直り」へ軸足を移し、受刑者へのきめ細かな処遇で更生を後押しするという主旨です。現状の刑務所等を視察すると、社会復帰に向けての職業訓練や改善指導を行っているという説明やパンフレットでの紹介がありますが、刑務官の監守のもとに無言で黙々と作業することを課している様子がほとんど。1ヶ月に2日程度の行事や講話等で、受刑者の特性に応じた教育指導がなされているかどうか、はなはだ疑問です。ある刑務所の刑務官が言いました。「警察官は(悪い人を)つかまえる、刑務官は(悪い人が作業や施設から逃げ出さないように)監ている(見張ってとりしまる)ことが仕事」。一般的に、犯罪者による被害者への賠償は困難であり、贖罪の意思が出てくるまでの指導も難しいし膨大な時間と労力を必要とする。施設内でのルール違反や暴力等に目を光らせながら、人員が十分に保証されないままで刑務官が自身の身の安全を守ることは厳しく、とてもゆとりがないだろう。しかし、刑事収容施設の維持や人件費で、受刑者1人あたりにすれば、ホテルへ宿泊する程度の費用を税金から投じていることも事実。犯罪被害、物価高等で困っている私たちが、再犯防止のためとはいえ、これ以上受刑者(高齢者・障害者・若年者・薬物依存者)の立ち直りや福祉を応援する必要や義務がどれだけあるのかと問われると、いくら受刑者の側から社会復帰を応援する保護司であっても、簡単に答えが出てきません。一般社会の受刑者に対する偏見・懲らしめ・拒否・排除等の意識は、そう簡単に拭えないと思われます。義務教育等においても、教育の内容や方法が変わる(質的な変革)のに、50年、100年という時間を要したように、いやそれ以上に、犯罪者の処遇や社会の受け入れ方の変化には長い時間を必要とするように思います。

 

自分で栽培した黒米のワラを使って、正月飾りを作るのが年中行事。
玄関、神棚、知人にも分ける。神社本殿のしめ縄も作成して奉納する。

 

恩師の近況 第23回 南雲 成二先生

 山本 明先生から23番目のバトン(タスキ)を受け継ぎました、南雲成二(なぐもせいじ)です。私が横浜国大附属横浜小学校に着任したのは、1982年(昭和57)4月でした。満29歳の春、横浜市立子安小学校(教科・領域関連総合的学習単元構成による『手の本作りと人間学習~わたしとあなたとなかまたち~』の教育実践途上)からの赴任でした。

 それから12年間お世話になり、教師人生の基礎・基本を学ばせていただき、教育実践・研究と教師の職能成長の基盤を形成させていただきました。1994年(平成6)3月をもって文部教官教諭職を終え(離任)、横浜市立学校教諭職となりました。(その後の32年間の歩みは、後半の近況報告編で報告させていただきます。)

 まず12年間の歴史を、担任させていただいた学年・学級で記録すると次のとおりです。 思い出深い『学年通信』の名称と共に、担当した学年・学級と卒業期を記録してみました。
       No.1 1982(S57)年度 『 ぽけっと 2年3組 』(第77期卒業生)
→→No.2 1983(S58)年度 『 トライアングル 2年3組 』(第78期卒業生)
→→No.3 1984(S59)年度 『 ぽけっと 4年3組 』(第77期卒業生)
→→No.4 1985(S60)年度 『トライアングル 4年学年担任&帰国子女教育専任』(第78期生)
→→No.5 1986(S61)年度 『 響(ひびき) 5年3組 』(第78期卒業生)
→→No.6 1987(S62)年度 『 響(ひびき) 6年3組 』(第78期卒業生)
→→No.7 1988(S63) 年度 『 チャレンジ 3年2組 』(第82期卒業生)
→→No.8 1989(H01)年度 『 おおぞら 2年1組 』(第84期卒業生)
→→No.9-10 1990(H02)~1991(H03)年度:横浜国立大学大学院 教育学研究科 内地留学
→→No11 1992年度(H04) 『 大地(だいち) 5年1組 』(第84期卒業生)
→→No12 1993年度(H05) 『 大地(だいち) 6年1組 』(第84期卒業生)

 2026年(R08)06月01日(月)、『横浜国大附属横浜小学校 同窓会ホームページ』を開きました。そこにはとても嬉しい記事がありました。2026年05月29日付、『 84期卒業生の同窓会を開催しました』です。第84期「大地(だいち)」卒業生で、今回の「小中合同第一回同窓会」企画・運営を担当してくださった山口(旧姓 椎名)千恵さんが、心込めて紹介と報告を書いてくださいました。一期一会の記念写真も添えていただいてありました。(花束をいただいた4人の先生方、みな嬉しそうです。 是非お読みください。)
 第84期の学年通信名は、1・2年時代『おおぞら』、3.4年時代『ジャンプ』、5・6年時代『大地』でした。第84期卒業生の皆さんは、小学校卒業時12歳 + 中学・高校・大学・社会人経過年数32年=44歳、となっていました。私が担任させていただいた時代の「お父様やお母様の世代」よりも、少しお兄さんお姉さんになっていました。(32年という歳月の流れと、個々の成長に、新鮮な驚きと深い感動を覚えました。)
 私が附属横浜小の先生方と保護者の方々と教育実習生のみなさんと協働して取り組ませていただいた 『いない・いないバァーの心と身体で、あ・し・た・へ・い・く学習創(造・作)り!』の主人公こそ、教え子の皆さん一人ひとりでありました。偶然の出逢(会・合・愛)いは、必然となり、大切な大切な宝物となりました。
 きらめない、ょぼくれない、めらわない、こたれない、じけない、よくしない、「六つのない ~いない・いないバァー~ の こころとからだ」は、かけがえのない一人ひとり(=代理不可性に満ちた命)の「生きる力育成の根源」だと強く感じ、希望と願いをもって「教えあい、育てあい(教育実践)」に取り組んできました。 一日一日を大切に、皆なくてはならぬ仲間たちと声かけあい、助けあい、頼りあい、見つめあい、認めあい、協力しあい、歩んだ日々でした。日々成長をしていく児童の皆さんこそ、私にとってかけがえのない『人間学習の教科書』でした。今もこれからも....。

  私が関わった附属横浜小在籍中の「主な教育実践研究の歩み(研究紀要や学校教育カリキュラム、教育系学会や出版物として確認できるもの)」は、次のとおりです。
No.1 1982(S57)年度 + 1983(S58)年度 全国発表大会(1982)
全体研究テーマ:学習を最適に成立させるための指導と評価
~行動力を育てるための教科指導の工夫・改善~
国語科教育研究:児童が生き生きと学習に取り組む指導の姿 ⇔ 課題追求の過程で学習記
録を活用した単元学習の展開
公開授業 2年: 『 みなさん 知っていますか 』・『 八歳のアルバム 』開発単元

No.2 1984(S59)年度 + 1985(S60)年度 全国発表大会(1984)
全体研究テーマ:生きてはたらく力をそだてる「主体的に学習に立ち向かう子の育成」
国語科教育研究:主体的な言語活動を通して確かな言語能力を身につけた子どもの育成 ~読むこと書くことに意欲的に取り組む説明的文章を中心とした単元の構成と展開~
公開授業 4年: 『 暮らしの中から調べて書こう 』・『 1/2成人式 』 開発単元

No.3 1986(S61)年度 + 1987(S62)年度 全国発表大会(1986)
全体研究テーマ:主体的に学習に立ち向かう子の育成~個に応じ・個を生かし・個を伸ばす授業の創造~
国語科教育研究:主体的な言語活動を通して確かな言語能力を身につけた子どもの育成
~ 一人ひとりの読みを大切にした文学的文章の単元構成とその展開 I~
帰国子女教育研究:混合受け入れ方式による海外帰国子女教育の歩みと実践の姿
公開授業 5年&6年: 『物語の楽しみ』開発単元 ・ 『賢治と私』開発単元

No.4 1988(S63)年度 + 1989(H01)年度 全国発表大会(1988)
全体研究テーマ:真に生きてはたらく力の育ちを求めた教育課程の創造<第一次研究>
~ 学ぶ児童の個性を尊重し、個性を生かす教育の具現化をめざして ~
国語科教育研究:生きてはたらくことばの力を身につけた子どもの育成をめざして
~ 一人ひとりの読みを大切にした文学的文章の単元構成とその展開 II ~
創意ある教育活動:学校生活の喜び・生きがいを 一人ひとりに保障する活動を求めて
読書案内集の制作・刊行: 『 附属横浜小 おすすめの100冊 』(全校児童配付)

No.5 1990(H02)年度 + 1991(H03)年度 全国発表大会(1990)
全体研究テーマ:真に生きてはたらく力の育ちを求めた教育課程の創造<第二次研究> ~ 個性の表れをとらえ生かす年間指導計画の作成 ~(南雲担当「国語科」「生活科」)
生活科年間指導計画の作成:「自分のよさへの気づき」を紡ぐ生活科の学習を求めて
~であい・ふれあい・たかめあい・ふかめあい・ひろげあう学習活動を通して~

No.6-1 1992(H04)年度 国語科年間学習指導計画作成~保幼小中の関連をみすえて~
【生きる力・生きてはたらく力を育む『国語科年間指導計画1学年~6学年』完成/発行】
   ☆学年間関連 & 学年内教科間関連 を大切にした学習単元一覧の構造化と開発☆
読書案内集の改訂:『 附属横浜小 おすすめの100冊改訂版の作成』(全校児童配付)
No.6-2 1992年4月~ 1993年9月 ・一人ひとりのよいとこ見つけ、よいとこ生かし →→ 個性の表れを とらえ生かす 特別活動教育の実践 と 年間指導計画 の作成
No.6-3 1992(H04)年度 + 1993(H05)年度 全国発表大会(1993)
全体研究テーマ:真に生きてはたらく力の育ちを求めた教育課程の創造<第三次研究>
国語科教育研究:一人ひとりのよさが生きる表現活動と学習支援のあり方を求めて
実践提案&公開授業: 『 12歳のアルバム(新:我が生い立ちの記) 』総合単元学習
特別活動活研究:問題意識をもって、自ら創りあげていく学級活動をめざして

 私が附属横浜小の教諭(教師)として最後に書かせていただいた学年通信【平成5年度 第6学年『大地』1994年2月28日号】を、32年ぶりに読み直しました。 重複する内容ばかりで、くどくて恐縮ですが、その一部を紹介させていただきます。
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大地
いっぱいの信頼を いっぱいの友情を いっぱいの愛を
ほんとうに ありがとうございました。
(「大地」最終号によせて 学年主任 6年1組担任 南雲 成二)

☆「おおぞら」の2年生時代とあわせて3年間、ありがとうございました。南雲先生は心
から深く深く感謝しています。かけがえのない一日一日を共にすごせてとてもしあわせでした。学年通信の最終号No.36 P213、P216、P217、P218 を再度読み返していただけると嬉しいです。南雲の願いと想いは、全てそこに書きました。
すてきな素敵な中学生時代を歩んでください、創ってください。 応援します!!
☆「大地」のお父様方、お母様方、お家の方々、常に心あたたまるご協力とご支援、誠にありがとうございました。
教育は『共育であり、協育である』こと。教育は『子どもと親(保護者)と教師の三人四脚的協働作業であり=共育て』であること。このことを何度も何度も相互確認しつつ歩んできました。お互いに失敗を恐れずに、その失敗やまちがいから多くのものを学びとり、個的経験の蓄積を「その子その子のかけがえのない人間的財産の形成」として大切にしてまいりました。「体験や経験」そのものを、『人間学習の原理と方法』として積極的にとらえ、一人ひとりが「なくてはならぬ人」として共に認めあい、生きあう関係としての『教育(共育=協育)』を創りだそうと努力してきました。
☆☆きらめない・ょぼくれない・めらわない・こたれない・じけない・よくよしない「六つの『~ない』を大切に、あなたとわたしとなかまたちが、力をあわせて、たすけあい・たのしく・たくましく生きれば、みんなが生き生きとした顔で『明日へ行く(育)=あ・し・た・へ・い・く』ことができるはず。人間としての「かしこさ」「やさしさ」「つよさ」を育て あい鍛えあう学習づくり(=人間学習)のエネルギーもここにあります。
☆☆これからもこの精神(心・魂・願い)を大切に、教育実践・研究に取り組み続けます。よろしくお願いいたします。


ここから「近況」の報告へと紡がせていただきます。
 1994(H6)年4月、横浜市立東小学校に赴任いたしました。「国語教育研究(横浜市研究指定校2年)」や「音楽教育研究(文部科学省指定研究協力校4年)」や「創意ある教育活動研究」「問いを大切にする算数教育研究」に取り組みました。『あずまっ子』も元気・根気・勇気のエネルギーの持ち主でした。濃厚な7年間があっ!という間に流れました。東小も附属横浜小も子安小も、学び手たちとの【出会いは必然的】でした。
 次は、横浜市立南吉田小学校に赴任しました。たった2年間の勤務でしたが、学ぶことはたくさんありました。特に「多文化共生教育の充実と、学び手一人ひとりのコミュニケーション力の育成」は最重要な教育実践テーマでした。学級担任や学年担任や教科担任という立場を超えて『学校担任としての学びの基礎』を深めることができました。
 その次は、横浜市立上星川小学校に赴任しました。初めての副校長先生体験をさせていただきました。その次が横浜市立西寺尾第二小学校でした。ここで初めて校長先生の体験をさせていただきました。この10年間は、「学校経営・運営の充実と評価・改善の深化」が課題となり、「学校担任として、全校児童が大切な教え子の一人ひとり」となりました。また、学校に集う教員・職員=教職員の方々一人ひとりが大切な教育実践・研究同人資源であり、専門職人の成長支援・協働力育成の推進こそが副校長・校長の仕事と認識して歩んできました。公立義務教育小学校の実践は地域社会の方々の深い理解と協働参画なしには成り立ちません。ですから地域の教育力・共育て力を積極的に耕しつ
つ、応援していただくことの努力もとても大切でした。学級担任時代・学年担任時代とはまた違った角度や視点・視座から『人間学習の単元構成やデザイン、評価・改善の学び』を深め広げる貴重な初等教育実践研究の学びができました。同時に教師・教職員の専門職性の向上や深化について、より具体的に、より実践的に追求・探究していくことが強く意識されました。これから教師・教員になろうとする人達の教育課題や教育内容・方法研究、既に教員・教職員で実務を経験している方々の現職教育の内容充実や機会拡充に関する具体的アプローチ、校内教育実践研究環境の整備と向上に努めました。
 光陰矢のごとし、2013年(平成25)3月、小学校教員の満期退職(定年)が訪れました。「国・公立初等教育実践・研究」は、通算35年間で一つの区切りを迎えました。
校長としての最後の「学校だより」に次のように書かせてもらいました。
あしたへいく(きらめない・ょぼくれない・めらわない・こたれない・じけない・よくよしない=明日へ行く)学習づくり』と、『くるくるの力(気づく・伝える・協りょく・高める&広げる&深める)を大切にした学校づくり』に、精一杯取り組ませていただきました。協働的寄せ鍋文化力の豊かな国際都市横浜を舞台に、こどもたち一人ひとりと、教職員と、保護者の皆様と、地域の方々とが一体となった教育実践の一つ一つが、その全てが、南雲の人生の大切な大切な『宝物』となりました。』
『今後は、言語(国語)教育、単元学習開発【人間であることの学習、人間になることの学習】の実践研究を続けると共に、それらを根幹に据えた教師教育(子どもと共に生きる担任力の育成、関わることへの意志と意欲を持って学び続ける教師の成長支援)の実践に微力を尽くす所存です。』
(☆☆最後の卒業証書を手渡した6年生から、イラスト入り手作り「校長先生卒業証書」を授与してもらえた時の「感動と感激」を、今も大切にしています。)

 そんな中、2013年4月から【大学での教師教育実践=小学校教員養成・育成】に関わるご縁をいただき、東京にある実践女子大学生活科学部専任教授として着任しました。 実践女子大学生活科学部の前身は家政学部でした。家政学部を生活科学部として再編し、そこに幼児保育に関する学科として「生活文化学科」を新設し、幼稚園教諭育成と保育士育成に取り組み始めたのですが、どうしても「小学校教諭育成」も積極的に進めたいということで学科再編・申請となったのだそうです。「教職センター」はありましたが、高等学校教諭免許と中学校教諭免許の取得しかできないので、生活文化学科を造り、幼児保育専攻に「初等教育専攻(小学校教員免許取得可)」を加えることにしたのだと説明を受けました。その際、小学校教育実践の実務経験者(国公立小学校教諭経験と公立小学校管理職経験を持つ者)が必要となったことが、公募要件だったと教えていただきました。「ご縁」というのは誠に不思議なものだと強く感じました。
 2013(平成25)年4月着任 ~ 2023(令和5)年3月離任 までの10年間、実践女子大学生活科学部生活文化(幼稚園教諭・小学校教諭養成コース)専任教授として教育実践研究に取り組ませていただきました。(幼小コース卒業生75名、内61名が小学校教諭)
 大学着任時、実践女子大学 後援会 『会報91号(2013秋号)生活文化学科着任の紹介頁』に 次のような願いと初心を述べさせていただきました。
☆生活文化を学ぶ:生活科学部生活文化学科の学びの対象は「人・暮らし・社会」です。人間・社会の諸現象の根底にある思考を養い、「心豊かなよりよい暮らし」を構想し、これからの社会に活きる実践力へと紡いでいくことを目指します。
☆学びの姿勢:人として活きる営みの足元にある「生活」の中から、「人が文化的に生きるとは何か」を問い続けます。「本当の豊かさとは何か」を見極めつつ、確かな生き方を掴む努力を続けます。それが生活文化学科における学びの姿勢(態度化)です。
☆学びの実際:①子どもから高齢者まで、人の一生とそれを支え合う家族・家庭を考えます。(保育・教育・療育・発達・福祉) ②自分自身を見つめつつ、人間とは何かを考えます。人間であることと、人間になることを探究します。(哲学・文学・心理学・教育学) ③人間をとりまく社会を知り、身近な生活から社会の仕組みに目を向けます。(文化・情報・環境・経済・家庭・地域) ④「人・暮らし・命・社会に関わる物・事・様」の見方・考え方を学び、様々な知識と知恵を総合化(統合化)しながら、現代社会に内在する問題(課題)を掘り下げ、解決の方法を探り、どのような暮らしを選択・創造していくべきなのかを考えます。⑤言語教育、教師教育、初等教育実践を専攻領域として担う南雲からのメッセージ。⇒⇒「人間の暮らし・日常・生活・命」を探究し、未来性ある子ども達とともに、人間的成長と発展を、学習文化づくりを通して育みあい、紡ぎあい、織り成しあい拓(啓)く主体的な教師(教諭・先生)をめざしてください。

☆☆ 担当・企画した『 主な授業科目 』を紹介します ☆☆
1 『生活文化概論 ~生活文化学科のフィールドと学び~ 』(1年 前期 2単位)
2 『 国 語 (ことばの教育・ことばの学習) 』 (1年 後期 2単位)
3 『基礎演習1 (言語表現とコミュニケーション) 』 (1年 後期 1単位)
4 『初等教科教育法(国語)~わかる・できる学習室づくり~』(2年 前期 2単位)
5 『 児 童 教 育 法 ~ 代 理 不 可 性 に 満 ち た 子 ど も を 見 つ め 、 学 ぶ こ と と 教 え る こと、 発達と支援・単元構成のあり方を考える~ 』(2年 通年 2単位)
6 『特別活動の指導法~目標・学習内容の理解と授業づくり~』(2年 前期 2単位)
7 『教育方法・技術(学習づくり・学習評価・改善)』 (3年 後期 2単位)
8 『カリキュラム論 ~教育課程の意義、編成・評価・改善~』 (3年 前期 2単位)
9 『教育実習指導(小学校)~教育実習で何を学ぶか~』 (3年 通年 4単位)
10 『教育実習a(小学校)』 (3年or4年 公立小学校4週間集中 4単位)
11 『ゼミナール(生活文化論演習⇔卒業論文制作準備)』 (3年 通年 4単位)
12 『教育学演習(小学校教育採用試験対策含む)』 (2年~4年 前期 2単位)
13 『 教 職 実 践 演 習 ( 幼 ・ 小 コ ー ス ) ~ 学 び 手 と 共 に 成 長 し 続 け る こ と の で きる 教師を目指して~ 』 (4年 後期 2単位)
14 『卒業論文制作~保育・教育・療育、実践研究の歩みと課題
  職能成長の紡ぎ方・織りなし方に関する考察~ 』 (4年 通年 6単位)

 2023年3月「退官記念講演」の最後にスピーチさせていただいた『今後の展望:生活文化学科 幼小コース専攻伝統形成 への南雲先生の願い』から引用します。
 保いく・教いく・療いくの三いく(育・行・生)に主体的に関わる専門職人として歩もうとする若者達へ、次の事柄を大切に歩んで(=学んで)ください。
☆いつでもどこでも子ども達の「あそぶ・よろこぶ・まなぶ」三つの『ぶ』を大切に。「あしたへいく学習づくり」を通して生きる力を子どもと共に、保護者と共に紡ぎだし、織り成す先生になりましょう。きらめない・ょぼくれない・めらわない・こたれない・じけない・よくよしない。『今日というかけがえのない一日を精一杯生きて、明日へいく(育・行・生)です。』
☆☆次の三つの「けん」「あん」「き」も、是非心がけてください。
✡はっけん・たんけん・ほっとけんあんぜん・あんしん・あんてい
✡げん・こん・ゆう、この「き」が「やる気」を育てます。

 満70歳(2023.3)が、人生二度目の定年退職年となりました。その後は、1横浜市退職小学校長会(地区幹事と会報誌編集)の仕事 2横浜国大学教育学部同窓会「友松会総務部」の仕事 3社会福祉法人乳児保育園評議委員の仕事 4放課後子育て支援NPOはまっこの会理事の仕事 等々に関わらせていただき、現在に至っています。

南雲の生きる力の根源は、『あしたへいく学習づくり』です!!

南雲ゼミ 4年生学習風景写真



ロコサトシ氏の回顧展

去る2月13日にご逝去されたロコサトシさんの回顧展が、山手町の岩崎ミュージアムで7月3日〜12日まで開催されています。

2013年に106期がプールサイド校庭側の壁画を描き、またそれを2022年夏に修復した際にご指導を賜ったロコサトシさんのことは、ご記憶にある方も多いでしょう。
是非足をお運び頂ければと思い、お知らせします。(詳細は以下の記事へ)

https://www.townnews.co.jp/0113/2026/07/02/842965.html

令和8年度 同窓会総会

令和8年6月18日(木)、小雨が降る中、山本校長先生、有川教諭、そして9名全役員が出席し、同窓会総会が開催されました。

昨年度の事業報告と決算報告、今年度の活動計画と予算案についての審議がもたれ、いずれも出席者全員からの承認を頂きました。

昨年度の事業報告としては、主に昨年度のホームカミングデーについての反省点や良かった点、また同窓会や同窓会のブログなどの活動を卒業生の皆さんにもっと認知していただくためにはどうしたらいいのか、など1時間以上にわたって話し合いがもたれました。

 

最後に会長改選について協議され、これから1年間の引き継ぎ期間を経て、69期の広部潤さんが次期会長に就任されることになりました。

今年度のホームカミングデーに関しましては、10月に行われる連絡会で詳細が決定されますので、それ以降、当ブログにてご案内させていただきます。

 

令和8年度 運動会のご報告

去る5月23日(土)気温18度朝のうちは少し湿気を帯びた曇天の中、附属小運動会が開催され、90名ほどの同窓生が参観に訪れました。

今年のテーマは「アンカー」。
大切にしたいことは「気づく」「考動する」「支える」です。

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5、6年生が中心になって、各色の応援旗を始め諸々の準備を進めることは、今や伝統となっています。

また今年は、横浜緑ヶ丘高校の陸上部員に事前に来校頂き、リレーの練習を積んだとのことです。

児童の進行のアナウンスにより開会式、そして競技・演技が粛々と進みました。
(私たちの在校時に比べて、自主性が重んじられているように感じました。)

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リレーで1位の子がゴールインするときや、玉入れの後1個ずつ玉を出していって最後に勝者が決まるときなどは、皆が歓声を上げてエキサイトしていました。

各色の応援も全身全霊で取り組んでおり、見応えあり感動ありの運動会でした。

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そして気になる優勝ですが(赤組の連勝を打破し)今年は10年ぶり青組の優勝となりました!!!

 

同窓生の参観をお認めくださった附属小の教職員各位、受付を始め運営をお手伝いくださったPTA役員各位に、心より御礼申し上げます。
そして制服リサイクルにご協力くださった同窓生にも、この場を借りて御礼申し上げます。

84期卒業生の同窓会を開催しました

2026年3月20日(金)エクセレントコーストに於いて附属横浜小学校84期と附属横浜中学校48期、合同の同窓会を開催しました。

小学校卒業後初めての同窓会となり、47名もの仲間が参集しました。
この度は、同窓会にもご協力いただき、恩師の先生方と繋がることができました。

懐かしい昔話に花を咲かせつつ、各々の近況を報告するなど有意義なひとときを過ごしました。
ご参加いただけた小学校恩師の先生は6年1組担任の南雲成ニ先生と6年2組担任の森田(旧姓 山田)裕子先生です。

小学校、中学校の垣根を越えて同期の輪を広げることができ、各々の活躍ぶりに刺激を受け、自分も頑張ろうという気持ちが湧いてきました。

また、会の終盤には音楽科がご専門の森田裕子先生の指揮で校歌を歌いました。
森田先生の指揮をされる姿が懐かしく、胸が熱くなりました。

先日、6年3組担任の小林広昭先生とも連絡を取り合うことができ、次回開催時には小林先生にもぜひご参加頂きたいと思っています。

 

84期 山口(旧姓椎名)千恵

 

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(前列中央の恩師の先生方は左から、中学の小田嶋満先生、中学の伊東通先生、前述の南雲成二先生、森田裕子先生。)