横浜国大附属横浜小学校 同窓会

横浜国大附属横浜小学校 同窓会 公式Blogです

恩師の近況 第14回「西村勇一郎先生」

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20240109164913j:image

藤中大洋先生にお声掛けいただきました西村勇一郎です。私は、平成7年から附属横浜小学校で4年間お世話になりました。思い返せば、短くも長い濃密な4年間でした。川崎市から藤中氏と2人で赴任し、様々な経験をさせていただいたことは、その後の教員人生に大いに役立ちました。自分よがりの回想録になってしまうと思いますがお許しください。エピソードとして記述させていただきます。
 
<エピソード1> まずは着任早々ですが、その当時、世の中はオウム事件に怯えている頃でしたので、交通機関等での異臭騒ぎに敏感になっている時期でした。地下鉄サリン事件の直後は、誰もが恐怖心をもっていました。4月下旬か5月上旬だったと思いますが、下校時刻に重なって横浜駅での異臭騒ぎの連絡が学校に入りました。その当時のS副校長から直ちに横浜駅に行って、状況把握と子どもたちの誘導をしてくれとの指示を受けました。正直言って、地下鉄サリン事件の被害の大きさを知っていたので、内心「怖いよ~。」と思いながら、横浜駅に向かいました。横浜駅の状況を連絡し、その後、関内駅前のバス停で子どもたちを誘導したのを覚えています。なかなか厳しい附属小学校生活のスタートとなりました。

<エピソード2> 1年目は、1年生「プラタナス」の学年の学年担任でした。まず、1年生を担当するのが初めてでした。また、学年担任という立場も初めてだったので、分からないことだらけで、正直言って夏休みくらいまではパニック状態でした。更に、附属小学校の様々なことが公立学校とはまったく違うので、そのこともストレスとなっていました。自分の適応力の乏しさを思い知らされました。しかし、夏休みを過ぎたくらいから慣れてきたこともあり、1年生の面白さや学年担任の動き等が分かってきて、少しずつ周りが見えてきたと思います。授業は、1年生の3クラスと2年生の2クラスをもっていたので、初めての低学年の指導をじっくりとできた1年でした。低学年の授業や子どもたちの面白さを知ることができました。

<エピソード3> 私は、体育科の教官として赴任しました。1年目は学年担任だったので、低学年の体育の授業をたくさん実践することができました。2年目は、4年生「晴れたらいいね」の学年の学級担任でした。自分のクラスの体育の授業しかできないので、前年とはまったく違った取り組みとなりました。この年は、体育の授業よりは、音楽の授業の思い出があります。もちろん音楽の授業は音楽専科が行っていましたが、子どもたちは、中区の音楽会に向けて合唱の練習を頑張り、素敵な歌声を響かせていました。私が指揮を振りました。絶妙に、子どもたちが指揮に合わせてくれていたように思います。拍手喝采でした。

<エピソード4> 3年目は2年生「タングラム」の学年の学級担任でした。全国向けの研究発表会の年だったので、体育の授業にも力を入れましたが、とくに思い出に残っているのは生活科の授業です。自己決定力と自己責任能力を高めるということを目指しており、自分でやってみたいことを決めて取り組むということなので、40人の子どもたちが各々で好きなことに取り組んでいました。恐らくクラス内で20種類くらいの活動をしていたと思います。生き物系、植物系、工作系、絵画系、裁縫系等、様々な活動が見られました。どれも自分なりの根拠をもっての活動でした。その中でもとくに覚えているのは、2人の子がタンポポについて調べていました。これは、国語の教科書に載っていた読み物教材がきっかけでした。校庭のタンポポの長い根っこを掘って調べたり、日本たんぽぽと西洋たんぽぽの違いを実際に見比べて調べたり、綿毛の数を調べたり、今では絶対にできませんが、実際に花を天ぷらにして食べたりしました。私もかなりかかわりましたが、探究心の固まりのような子どもたちでした。

<エピソード5> 4年目は、1年生「天晴(あっぱれ)」の学年の学級担任でした。この年は、校内の道徳の担当もしていたので、とくに道徳の授業に力を入れました。1年生の話し合い活動が成立するのかどうか、あれこれと試行錯誤しながら日々取り組みました。さすがに附属の子どもたちです。話型を身に付け、話し合いのルールも理解して、討論らしきことを意欲的に行っていました。「~さんの意見に賛成(反対)です。なぜかと言うと~」「~さんの意見に似ていますが~」1年生でも友だちの話をしっかりと聞いて、話し合い活動ができることを確信しました。蛇足ですが、この年は、「だんご三兄弟」の歌が流行っていて、よくクラスで歌ったのを覚えています。
 f:id:fuzokuyokohamadosokai:20240109162704j:image


<おわりに> 4年間という短い期間でしたが、たくさんの貴重な経験ができました。保護者の皆様にも大変によくしていただきお世話になりました。また、給食も本当においしくて、栄養士のI先生の熱意には感銘を受けました。支えていただいたすべての皆さんに心より感謝申し上げます。
その後、西村は、川崎市の学校に戻り、6年間勤めた後に在外派遣で3年間南米の日本人学校に赴任し、帰国して再び川崎市の学校に勤めております。途中、教育委員会に勤めることもありましたが、現在は川崎市宮前区内の小学校の校長として元気に過ごしております。盟友の藤中先生とは、同じ区内の校長同士で未だに仲良くさせていただいております。今後も、もうしばらく学校現場で頑張っていきたいと思っています。最後になりますが、附属横浜小学校の益々の発展と皆様方のご多幸をお祈り申し上げ、簡単ではありますが、近況報告とさせていただきます。

第15回ホームカミングデー チケットに関して

第15回ホームカミングデー チケットに関して

2月23日(祝日)のホームカミングデーの参加申し込みは、以下のサイトからお願いします。
注意事項をよく読み、チケットを入手して下さい。

・チケットは無料
・申し込み期間 2024年1月9日〜2月15日まで
 今回は人数制限は設けませんが、期日は厳守してください。
※お手伝いの110期の方もチケットを入手してください。

https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/02q9tfye3eg31.html

第15回ホームカミングデーのイベント内容について

来たる来春2/23 のホームカミングデーでは、卒業生 川野泰周さんの講演を予定しています。

10月24日の記事でご案内した通り、川野泰周さんは、精神科医心療内科医としても僧侶としてもご活躍の方ですが、
当日の演題は「すこやかな心を育むマインドフルネス体験」と決まりました。

当日は中高生の皆さんをも飽きさせない体験型の講演となるようです。
どうぞお楽しみに!!

そして「マインドフルネスって一体何?」とご興味が湧いた方は、
川野さんのYouTubeチャンネルもあるので、是非ご覧ください。

https://youtu.be/t-TmKIVBZZE?si=bXgATTVfYCt2WYc7


川野さんのご講演の後には、PTAの松田会長さんにご登壇頂き、
附属小の図書室「あつまれ本のもり」に関してのお話を伺います。

その上で校内を散策し、開催中の造形展を鑑賞し、懐かしい友人たちと交流しましょう。
恩師の先生ともお目にかかれるかも知れません。

当日は、記録用のビデオ撮影、並びにブログ掲載用の写真撮影を行う予定です。
万一差し障りのある方は、事前に同窓会宛にメールにてお申し出下さいますようお願いします。

ホームカミングデーの参加チケットに関しては、年明け早々当ブログにてご案内予定です。

楽しみにお待ちください。

110期 ウィングの皆さんへのお願い

附属小同窓会のホームカミングデー・イベントが始まったのが、2010年のこと。
現在30歳になる96期アンビシャスの先輩たちがお手伝いをしてくださいました。
それ以来、高校1年生の代が毎回、設営、受付、参加者誘導、後片付けなどのお手伝いを引き継いでくださっています。

途中、第12回、第13回はコロナ禍により開催中止を余儀なくされましたが、
昨年からイベントが復活できたことを、同窓会役員一同とても喜ばしく思っているところです。

卒業生が附属小に来校できる機会も限られる昨今です。
この貴重なイベントを絶やさぬためにも、後輩たちのためにも、あなたたちウィングのお力が必要です。
我こそはと思う方、友人と一緒でも構いませんので、下記同窓会宛にメールにてお申し出ください。
また一度メールを頂いても、部活の試合が入ってしまったなど、急に都合が悪くなったら改めてご連絡頂ければ大丈夫ですので、まずは名乗りを挙げてください。

2月23日(祝)当日の集合はイベント開催の30分前の12時半。
終了時刻16時には片付けを終えて解散できるようにプランニングしています。

ご連絡を同窓会一同、心よりお待ちしています。

fuzokuyokohamasho.dousoukai@gmail.com

 

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20231219203516j:image

ホームカミングデーの打ち合わせ

冬ざれの師走19日附属小に於いて、来春2月23日に開催するホームカミングデーに関する打ち合わせを行いました。

イベントの詳細は順に発表して行きますので、今後、当ブログにご注目ください!
よろしくお願いします。

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20231219202312j:image

(光の庭も、寒々しい風景に・・・。)

卒業生、加納伊都さんのヴァイオリン・リサイタルのご案内

附属横浜小85期卒業生、ヴァイオリニストの加納伊都さんが、この度、リサイタル活動20回目を記念してソロ・リサイタルを行います。

加納さんは、日本のみならず、ウイーン、イギリスの他ヨーロッパでもご活躍です。
2009年10月の附属小創立100周年記念式典でも、演奏をして頂いた経緯があります。
近頃は、横浜マリンFMにて毎週火曜日12:30〜13:00「加納伊都のClose To The Violin」と言うレギュラー番組もお持ちです。

 

『加納伊都 ヴァイオリン リサイタル』
日時:2023年12月23日(土) 16時より
場所:横浜みなとみらいホール小ホール

 

この時期のみなとみらいは、クリスマスの雰囲気に満ちとても美しい時節です。
ご家族やお友達とご一緒にいかがでしょうか。

チケットのお申し込みは、添付資料末尾記載の連絡先やQRコードからどうぞ。

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20231216220257j:image

恩師の近況 第13回「藤中大洋先生」

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20231125140542j:image

小川俊哉先生からバトンを受け取りました藤中大洋です。附属横浜小学校には平成7年4月から平成12年3月までお世話になりました。その後、川崎市立京町小学校で8年間、川崎市総合教育センターカリキュラムセンターで生活科・総合的な学習の時間の担当指導主事として2年間、国立教育政策研究所で全国の教育研究所の事務局を1年、川崎市総合教育センターに再び戻って国際教育の担当指導主事を3年間勤めました。その後現場に戻り、川崎市立木月小学校で教頭として4年間勤めたのですが、川崎市立小杉小学校を新設校として立ち上げるために、1年間教育委員会で仕事しました。開校して一年小杉小学校の教頭を務め、川崎市立東菅小学校で校長として3年、そして現在は川崎市立菅生小学校の校長をしています。今年度は、川崎市小学校教育研究会の会長を務めさせていただいています。近況報告は以上となります。
 
 家族の話で恐縮ですが、附属横浜小学校で勤務している間、子ども(娘)に恵まれました。OBで既に紹介された佐藤裕二先生の娘さんと全く同じ日に誕生。その娘も今は大学を卒業し、病院の管理栄養士として働いています。時間の流れを感じます。
 
 とにかく先生方が熱心で、帰るのがみんな遅い。当時、「附属横浜小学校で一番早く帰る先生」がいました。帰る時間は4時。といっても午後の4時ではなく、朝の4時。毎晩学校で仕事をして仮眠。お子さんを保育園に連れていくために朝4時帰る。車通勤の先生が多かったです。
 
 私にとっての附属小学校は「教師として自己を磨く場」で諸先輩方に鍛えていただく5年間でした。宮坂校長先生を筆頭に全ての先生が、子どもたちのために「授業」を真剣に考えていました。

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20231125140741j:image

思い出①
 4年生のときに埋立地がこのままでいくとなくなってしまうという危機感からごみを減らす取組をしなくてはということになりました。今やSDG’sで誰もが意識していますが、当時はここまでの意識はありませんでした。夏休みにリサイクルセンターに行きたいという子がいたので、何人かの子たちで出かけました。その際、アルミ缶の原料のボーキサイトから作るのとリサイクルで作るのとでは100倍のコストの違いがあると教わったときは、大人である私自身が分別をしっかりしなくてはと思いました。


 様々にごみを減らす取組を考え実践していましたが、フリーマーケットに参加したいという子たちがいました。クラス全員が横浜岡田屋モアーズ屋上と磯子区民祭の二つに分かれて参加しました。売れるための工夫なども話し合いました。私が一番思い出に残っているのは、コンポストで作った土を売り出し、取組を説明することで区民祭に参加した方が、感動され、次々に買ってくださり完売したことでした。素晴らしいプレゼンテーションの場になり、子どもたちは学習の経緯を上手に話す。すごい学びの場になったなと思いました。
 学校を飛び出し、社会の場で自分たちの思いや願いを実現するために前向きに取り組む子どもたちの姿に大人として学ぶことが多かったです。

 

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20231125140834j:image

思い出②
 小学校一年生の担任は附属横浜小学校で一度だけ持たせていただきましたが、異動前、異動後の川崎市立小学校では一度も受け持たせていただくことができなかったので、唯一の一年生担任でした。山下先生、角田先生、須貝先生と私。すべて男性で入学式は黒のスーツに身を固め、今思い返すとよく泣く子がいなかったなと思います。市立小学校ではまずないと思います。
 すごく可愛い子たちでした。午後までの授業になった始めのころは5時間目にうとうとする子が多かったです。無理もありません。電車やバスで登校するのですから。ましてや子どもたちは大人に視界を遮られてしまうので、すごいストレスを受けます。それでも眠気と闘いながらがんばる。授業とは全然関係ないことをしているのに、友達が発言すると、「それについて」と突然手を挙げる。聞いていないようで聞いている。不思議な子が多かったです。
 生活科で「ぼくは、わたしは〇〇がしたい」という単元で、自分たちがやりたいことを探究する学習をしました。その中で、学級園で大根を育てるグループがありました。細かったのですが、収穫。どうするのかなと思っていたら、「沢庵を作りたい」と言い出しました。「渋いな」と思ったのですが、「面白そう」とも思いました。学級のみんなに相談したのですが、結構反対意見も多く、最後に沢庵パーティーをするということで許しが出て漬物のセットを購入し、挑戦しました。試行錯誤。一度失敗しましたが二度目で成功。ちょっとしょっぱかったけど、最後まであきらめずに取り組んだ成果が実を結びました。


 ほかにも多くの思い出(人には言えない思い出も・・・)をいただきました。感謝するとともにこれからも良き伝統を守り新しい取組に挑戦していかれることを祈念しております。くれぐれも教職員の皆様はご自身の体調にご自愛ください。