横浜国大附属横浜小学校 同窓会

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恩師の近況 第13回「藤中大洋先生」

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小川俊哉先生からバトンを受け取りました藤中大洋です。附属横浜小学校には平成7年4月から平成12年3月までお世話になりました。その後、川崎市立京町小学校で8年間、川崎市総合教育センターカリキュラムセンターで生活科・総合的な学習の時間の担当指導主事として2年間、国立教育政策研究所で全国の教育研究所の事務局を1年、川崎市総合教育センターに再び戻って国際教育の担当指導主事を3年間勤めました。その後現場に戻り、川崎市立木月小学校で教頭として4年間勤めたのですが、川崎市立小杉小学校を新設校として立ち上げるために、1年間教育委員会で仕事しました。開校して一年小杉小学校の教頭を務め、川崎市立東菅小学校で校長として3年、そして現在は川崎市立菅生小学校の校長をしています。今年度は、川崎市小学校教育研究会の会長を務めさせていただいています。近況報告は以上となります。
 
 家族の話で恐縮ですが、附属横浜小学校で勤務している間、子ども(娘)に恵まれました。OBで既に紹介された佐藤裕二先生の娘さんと全く同じ日に誕生。その娘も今は大学を卒業し、病院の管理栄養士として働いています。時間の流れを感じます。
 
 とにかく先生方が熱心で、帰るのがみんな遅い。当時、「附属横浜小学校で一番早く帰る先生」がいました。帰る時間は4時。といっても午後の4時ではなく、朝の4時。毎晩学校で仕事をして仮眠。お子さんを保育園に連れていくために朝4時帰る。車通勤の先生が多かったです。
 
 私にとっての附属小学校は「教師として自己を磨く場」で諸先輩方に鍛えていただく5年間でした。宮坂校長先生を筆頭に全ての先生が、子どもたちのために「授業」を真剣に考えていました。

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思い出①
 4年生のときに埋立地がこのままでいくとなくなってしまうという危機感からごみを減らす取組をしなくてはということになりました。今やSDG’sで誰もが意識していますが、当時はここまでの意識はありませんでした。夏休みにリサイクルセンターに行きたいという子がいたので、何人かの子たちで出かけました。その際、アルミ缶の原料のボーキサイトから作るのとリサイクルで作るのとでは100倍のコストの違いがあると教わったときは、大人である私自身が分別をしっかりしなくてはと思いました。


 様々にごみを減らす取組を考え実践していましたが、フリーマーケットに参加したいという子たちがいました。クラス全員が横浜岡田屋モアーズ屋上と磯子区民祭の二つに分かれて参加しました。売れるための工夫なども話し合いました。私が一番思い出に残っているのは、コンポストで作った土を売り出し、取組を説明することで区民祭に参加した方が、感動され、次々に買ってくださり完売したことでした。素晴らしいプレゼンテーションの場になり、子どもたちは学習の経緯を上手に話す。すごい学びの場になったなと思いました。
 学校を飛び出し、社会の場で自分たちの思いや願いを実現するために前向きに取り組む子どもたちの姿に大人として学ぶことが多かったです。

 

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思い出②
 小学校一年生の担任は附属横浜小学校で一度だけ持たせていただきましたが、異動前、異動後の川崎市立小学校では一度も受け持たせていただくことができなかったので、唯一の一年生担任でした。山下先生、角田先生、須貝先生と私。すべて男性で入学式は黒のスーツに身を固め、今思い返すとよく泣く子がいなかったなと思います。市立小学校ではまずないと思います。
 すごく可愛い子たちでした。午後までの授業になった始めのころは5時間目にうとうとする子が多かったです。無理もありません。電車やバスで登校するのですから。ましてや子どもたちは大人に視界を遮られてしまうので、すごいストレスを受けます。それでも眠気と闘いながらがんばる。授業とは全然関係ないことをしているのに、友達が発言すると、「それについて」と突然手を挙げる。聞いていないようで聞いている。不思議な子が多かったです。
 生活科で「ぼくは、わたしは〇〇がしたい」という単元で、自分たちがやりたいことを探究する学習をしました。その中で、学級園で大根を育てるグループがありました。細かったのですが、収穫。どうするのかなと思っていたら、「沢庵を作りたい」と言い出しました。「渋いな」と思ったのですが、「面白そう」とも思いました。学級のみんなに相談したのですが、結構反対意見も多く、最後に沢庵パーティーをするということで許しが出て漬物のセットを購入し、挑戦しました。試行錯誤。一度失敗しましたが二度目で成功。ちょっとしょっぱかったけど、最後まであきらめずに取り組んだ成果が実を結びました。


 ほかにも多くの思い出(人には言えない思い出も・・・)をいただきました。感謝するとともにこれからも良き伝統を守り新しい取組に挑戦していかれることを祈念しております。くれぐれも教職員の皆様はご自身の体調にご自愛ください。