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恩師の近況 第14回「西村勇一郎先生」

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藤中大洋先生にお声掛けいただきました西村勇一郎です。私は、平成7年から附属横浜小学校で4年間お世話になりました。思い返せば、短くも長い濃密な4年間でした。川崎市から藤中氏と2人で赴任し、様々な経験をさせていただいたことは、その後の教員人生に大いに役立ちました。自分よがりの回想録になってしまうと思いますがお許しください。エピソードとして記述させていただきます。
 
<エピソード1> まずは着任早々ですが、その当時、世の中はオウム事件に怯えている頃でしたので、交通機関等での異臭騒ぎに敏感になっている時期でした。地下鉄サリン事件の直後は、誰もが恐怖心をもっていました。4月下旬か5月上旬だったと思いますが、下校時刻に重なって横浜駅での異臭騒ぎの連絡が学校に入りました。その当時のS副校長から直ちに横浜駅に行って、状況把握と子どもたちの誘導をしてくれとの指示を受けました。正直言って、地下鉄サリン事件の被害の大きさを知っていたので、内心「怖いよ~。」と思いながら、横浜駅に向かいました。横浜駅の状況を連絡し、その後、関内駅前のバス停で子どもたちを誘導したのを覚えています。なかなか厳しい附属小学校生活のスタートとなりました。

<エピソード2> 1年目は、1年生「プラタナス」の学年の学年担任でした。まず、1年生を担当するのが初めてでした。また、学年担任という立場も初めてだったので、分からないことだらけで、正直言って夏休みくらいまではパニック状態でした。更に、附属小学校の様々なことが公立学校とはまったく違うので、そのこともストレスとなっていました。自分の適応力の乏しさを思い知らされました。しかし、夏休みを過ぎたくらいから慣れてきたこともあり、1年生の面白さや学年担任の動き等が分かってきて、少しずつ周りが見えてきたと思います。授業は、1年生の3クラスと2年生の2クラスをもっていたので、初めての低学年の指導をじっくりとできた1年でした。低学年の授業や子どもたちの面白さを知ることができました。

<エピソード3> 私は、体育科の教官として赴任しました。1年目は学年担任だったので、低学年の体育の授業をたくさん実践することができました。2年目は、4年生「晴れたらいいね」の学年の学級担任でした。自分のクラスの体育の授業しかできないので、前年とはまったく違った取り組みとなりました。この年は、体育の授業よりは、音楽の授業の思い出があります。もちろん音楽の授業は音楽専科が行っていましたが、子どもたちは、中区の音楽会に向けて合唱の練習を頑張り、素敵な歌声を響かせていました。私が指揮を振りました。絶妙に、子どもたちが指揮に合わせてくれていたように思います。拍手喝采でした。

<エピソード4> 3年目は2年生「タングラム」の学年の学級担任でした。全国向けの研究発表会の年だったので、体育の授業にも力を入れましたが、とくに思い出に残っているのは生活科の授業です。自己決定力と自己責任能力を高めるということを目指しており、自分でやってみたいことを決めて取り組むということなので、40人の子どもたちが各々で好きなことに取り組んでいました。恐らくクラス内で20種類くらいの活動をしていたと思います。生き物系、植物系、工作系、絵画系、裁縫系等、様々な活動が見られました。どれも自分なりの根拠をもっての活動でした。その中でもとくに覚えているのは、2人の子がタンポポについて調べていました。これは、国語の教科書に載っていた読み物教材がきっかけでした。校庭のタンポポの長い根っこを掘って調べたり、日本たんぽぽと西洋たんぽぽの違いを実際に見比べて調べたり、綿毛の数を調べたり、今では絶対にできませんが、実際に花を天ぷらにして食べたりしました。私もかなりかかわりましたが、探究心の固まりのような子どもたちでした。

<エピソード5> 4年目は、1年生「天晴(あっぱれ)」の学年の学級担任でした。この年は、校内の道徳の担当もしていたので、とくに道徳の授業に力を入れました。1年生の話し合い活動が成立するのかどうか、あれこれと試行錯誤しながら日々取り組みました。さすがに附属の子どもたちです。話型を身に付け、話し合いのルールも理解して、討論らしきことを意欲的に行っていました。「~さんの意見に賛成(反対)です。なぜかと言うと~」「~さんの意見に似ていますが~」1年生でも友だちの話をしっかりと聞いて、話し合い活動ができることを確信しました。蛇足ですが、この年は、「だんご三兄弟」の歌が流行っていて、よくクラスで歌ったのを覚えています。
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<おわりに> 4年間という短い期間でしたが、たくさんの貴重な経験ができました。保護者の皆様にも大変によくしていただきお世話になりました。また、給食も本当においしくて、栄養士のI先生の熱意には感銘を受けました。支えていただいたすべての皆さんに心より感謝申し上げます。
その後、西村は、川崎市の学校に戻り、6年間勤めた後に在外派遣で3年間南米の日本人学校に赴任し、帰国して再び川崎市の学校に勤めております。途中、教育委員会に勤めることもありましたが、現在は川崎市宮前区内の小学校の校長として元気に過ごしております。盟友の藤中先生とは、同じ区内の校長同士で未だに仲良くさせていただいております。今後も、もうしばらく学校現場で頑張っていきたいと思っています。最後になりますが、附属横浜小学校の益々の発展と皆様方のご多幸をお祈り申し上げ、簡単ではありますが、近況報告とさせていただきます。