横浜国大附属横浜小学校 同窓会

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恩師の近況 第9回「宮川友二朗先生」

恩師の近況第9回は、1987年から7年間勤務された宮川友二朗先生です。

ちょうど旧校舎から新校舎への移転の時期にあたり、その時期ならではの貴重な思い出話をご紹介頂きました。

 

井上明彦先生からご紹介いただいた宮川友二朗です。

附属横浜小学校には、1987年(昭和62年)4月から1994年(平成6年)3月まで、7年間勤務させていただきました。7年間のうち、3年間は学年担任、4年間は学級担任でした。学年担任の時は、主に2つの学年の図工の授業を受け持ち、毎日のように図工の授業を行っていました。附属小に赴任して最初の年は、2年生の学年担任で、1年生と2年生6クラスの図工を受け持ちました。当時はまだ古い校舎で第2図工室のようなものが1階の片隅にありました。学年担任で自分の教室がないので、その部屋を自分の居場所にし、授業もそこで行ったりしていました。片隅にあるという言葉そのまま、ほとんど使われていないような部屋だったので、最初のころは、片付けと清掃に明け暮れていました。その上、図工の授業は教科書をほとんど使わず、毎回の活動を常にオリジナルで行っていたので、それを考えたり教材研究をしたりも大変で、赴任早々、何という学校に来てしまったのだろうと不安と困惑の毎日だったことを思い出しました。

自己紹介からのつもりだったのに、いきなり附属小学校の思い出に突入してしまいました。

始めは、多少の不安や苦労もあった附属小時代ですが、この原稿を書くことになり、附属小学校勤務の頃のことを思い出してみると、楽しいことばかりで、次から次へといろいろなことが思い出されてきてしまいます。日常の学校生活、山荘学習や修学旅行などの行事、夜遅くまで一緒に過ごした多くの先生方との思い出・・・などなど。書き連ねていくと終わりが見えなくなってしまいますので、思い出は絞りに絞って書かせてもらいます。

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やはり、たくさんの思い出があるのは、学級担任をしていた4年間。5年・6年と、2年間ずつ受け持った学年が「翼」と「スマイル」の学年でした。「スマイル」については、前の山元先生や井上先生も触れていましたので、私は「翼」の頃の思い出を少し。

「翼」の5年・6年生は、旧校舎から新校舎への移り変わりの時でした。その頃、校舎建設のため学校敷地内の木がたくさん伐採されました。その際に、伐採した木を1mぐらいの丸太に切って積み上げておいてもらいました。その大量の丸太を子どもたちと協力して屋上まで運びあげ、その丸太を組んで縄で縛り、家というか小屋というか秘密の隠れ家のようなものをみんなでつくり上げる活動を始めました。丸太でいかだをつくってみたいという声も上がり、丸太を組んだいかだをプールで浮かべてみたりもしました。

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また、もう使わなくなって解体されるのを待つばかりの教室の床にグループごとに思い出の絵を描きました。解体の前に絵を描いた床を剝がしてもらい、どこかに保管したはずだったのですが、その後どうなってしまったのか残念ながら思い出せません。旧校舎への思いと、思い出づくりがきっかけの活動でしたが、みんなの心が一つになったようなとても楽しい活動だった思い出です。

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旧校舎は神奈川女子師範学校の校舎が一部残っている歴史ある重厚な建物でした。小学校とはとても思えない造りの正面玄関。そこから入り玄関ホールとその先に繋がる廊下の高い天井、かなり威圧感のある圧倒されるような建物でした。

そして、新校舎。新校舎は、職員のアイデアや願いがたくさん詰まっている設計だったように記憶しています。当時図工部だった私は、八ツ橋先生、矢澤先生と一緒に、新校舎の「虹のホール」と「光の庭」などのアイデアやデザインを考えたことも懐かしいです。

歴史ある旧校舎。職員の思いが具現した新校舎。両方での附属小学校時代を体験できたことはとても幸せだったと思います。

 

現在私は、家から30分ぐらいのところにある大学で、非常勤講師として、教員をめざす学生と共に楽しい造形教育を求めて活動しています。もう一つ、「造形教育をもりあげる会」という横浜国立大学と大変かかわりの深い教育団体に属し、副会長として活動しています。その「造形教育をもりあげる会」の研修会で、昨年、附属横浜小学校の図工室を2回ほどお借りしました。20年ぶりくらいに附属小学校を訪ね、自分たちが考えた図工室や光の庭、虹のホールなどを見て、とても懐かしく当時を思い出しました。

今、子どもたちの造形教育に関わる活動をしていますが、この素地は、附属小学校での楽しい活動の数々や様々な人との出会いに溢れた7年間だと思っています。附属小時代の楽しい思い出をたくさんよみがえらせてくれたこの原稿を書く機会に厚く感謝申し上げます。

ありがとうございました。