横浜国大附属横浜小学校 同窓会

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清里の若梅寮の写真 その2

84期「大地」の宮地悠輔さんから山荘学習のお写真を、素敵な文章と共にお送り頂きました。思い出の文章が素晴らしかったので、以下抜粋してご紹介させて頂きます。

 

そう広くはない和室での雑魚寝、食堂での食事、全員で登頂した飯盛山登山は良い思い出です。

そして6年生山荘の最終日、この日にバトンタッチする3年生が気持ちよく山荘学習を始められるよう、若梅寮を隅々まで掃除しました。掃除が終わった後クラス全員が男子部屋に集合し、皆で写真を撮りました。撮り終わった後、「本当にもう最後だね」と言いながら部屋を後にし、直後に3年生の乗ったバスが到着し、慌ただしく砂利の駐車場で出迎えました。その後迅速にバトンタッチの式を行い、バスに乗り込みました。傾斜のある砂利道を大きく横揺れしながら出発するバスから若梅寮が見えなくなるまで手を振ったのを覚えています。

自分が3年生の時は、初めての宿泊学習で不安が強く、若梅寮から自分が乗ってきたバスで横浜に帰る6年生を羨ましく見送ったのに、同じ立場になった最後の時はとても寂しく、切なく感じた記憶が蘇って来ました。

日中の屋外活動に向けてお茶を入れてもらった皆の水筒が、一斉に廊下に並べられた光景は印象的でした。無骨なデザインでカーキー色のカバーに包まれたミリタリー風の水筒が当時流行しており、同じような水筒が多く並んでいたため、自分の水筒を探すのに苦労したものです。

現在のように普段から水筒を持つという習慣は当時にはなく、郊外学習時のみ水筒が必要でしたので、水筒の出番=非日常であり、水筒はワクワクの象徴でした。

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宮地さんは、当ブログの「恩師の近況」にご寄稿を頂いた森田裕子先生が受け持たれた期のお一人で、現在、横浜市内で小児科医としてご活躍です。

宮地さんからのお手紙は、次のような文章で締めくくられていました。

 

私たちの学年は今年42歳になる年齢です。皆各方面で立派に活躍しており、会うととても刺激されます。南雲先生が当時「附属小で一生もんを作りなさい」とおっしゃっていたのを記憶しておりますが、まさに今ある交友関係は一生もんだなとしみじみと感じております。

附属小学校に関わる教職員の皆様、児童の皆様の益々のご発展をお祈り申し上げます。