横浜国大附属横浜小学校 同窓会

横浜国大附属横浜小学校 同窓会 公式Blogです

恩師の近況 第7回「山元泰弘先生」

今回は、昭和63年(1988年)から11年附属小に勤務され、最後の2年間は副校長を務められた「山元泰弘先生」に寄稿頂きました。

 

森田裕子先生からご紹介いただいた山元泰弘です。平成26年3月に横浜市立希望ケ丘小学校を校長で定年退職(60歳)し、その後現在まで、横浜市安全教育振興会に勤めています。昨年度まで事務局長でした。今年度は、後任の事務局長への引継ぎのため、期間限定(3月まで)で相談役として残っています。


附属横浜小には昭和63年4月に横浜市から出向し、11年間勤務しました。横浜市小学校社会科研究会に所属し、そのご縁で社会科担当として附属横浜小に行くことになりました。ちょっと長めの在籍となりました。最後の2年間は副校長で、平成11年4月に横浜市に戻りました。当時の附属横浜小の副校長人事は内部昇任でした(現在は横浜市の人事となっています)。担任→研究主任→教務研究主任→教務主任という道を辿って副校長になる仕組みでしたから、担任歴が6年間の私は必然的に11年間となりました。


ちょっと変わった学校でした。担任は1組が学年主任、2組が中堅、3組が若手という構成で、さらに学年担任という先生が一人ついて4人で学年を組み、教科を分担して教えていました。運動会の色分けはどの学年も3クラスなので、赤・黄・青の3色でした。1組が赤、2組が黄、3組が青と決まっていて、進級の際に何組になるかで運動会の色も決まってしまいました。


ちょっと変わった学校ということで言えば、一部(主に女性の先生)を除いて先生たちは否応なくゴルフをやらされました。年に3回のゴルフコンペがあってそれに参加させられました。ゴルフの経験がないとか、道具(ゴルフクラブ)を持っていないとかは理由になりませんでした。先輩からお下がりのクラブをいただき(押し付けられ)、副校長先生(中垣先生:ゴルフの腕前はたぶんシングル)に杉田のゴルフ練習場で教えていただき(連れていかれ)、それでも不安だったのでゴルフスクールに入ってゴルフを習いました。それが私のゴルフの始まりです。始めた当初はゴルフを好きになれず、コンペもいやいやの参加でした。それなのに、今はゴルフが大好きです。ゴルフに出合わせてくれた附属横浜小に感謝しています。
実は一昨年、ちょっと大きな病気をしました。しばらくは食事がうまく摂れず、体重が5㎏ほど減りました。ゴルフどころではありませんでした。いまはようやく、ゴルフに支障がない程度に回復しました。これからは健康のためにもゴルフを続けていこうと思っています。3月には横浜市安全教育振興会を退職するので、あとはゴルフと旅行でのんびり過ごしたいと思っています。

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20230116133411j:image

みんな一緒だと思いますが、しばらく同窓会やクラス会などを含め、会合が全くできていません。附属横浜小で言えば3年前に学年愛称“スマイル„の同期会に参加したのが最後です(写真:スーツにネクタイが担任3名で、右から2組井上、1組山元、3組宮川)。

そうこうしているうちに、鬼籍に入ってしまった友人も出てきました。コロナの不安よりも、年齢が進んだことによる健康不安の方が大きくなってきています。友人たちと「コロナも心配だけれど、会える時に会っておかないとだめだね。」と会話を交わしている今日この頃です。

f:id:fuzokuyokohamadosokai:20230116133515j:image